昭和39年に制定された日本で初めての「不動産鑑定評価基準」(以下、39年基準という。)で、「正常価格」という定義がなされている。
その定義とは、“不動産が一般の自由市場に相当の期間存在しており、売り手と買い手とが十分に市場の事情に通じ、しかも特別な動機をもたない場合において成立するとみられる適正な価格”である。
そして、39年基準の基本的考察には、“不動産鑑定評価とは、合理的な市場があったならば、そこで形成されるであろう正常な市場価値を表示する価格を、鑑定評価の主体が、的確に把握することを中心とする作業”であると記載されている。(注1)
「正常価格」とは、不動産鑑定評価を行うものにとって、その発行する不動産鑑定評価書に常に記載し、社会的に認知もされてきていると思うが、この「正常価格」という名称を、昭和39年基準に誰が命名したのだろうか。
不動産鑑定に携わる人以外に、通常はその定義までは読まない。
ネーミングの巧みさもあるが、この「正常価格」という名前のために、市場において“一意に求まる価格”というイメージが強くつきまとうのではないだろうか。即ち、不動産鑑定士という国家資格を持った者が、一意に求めることができる価格を付けているのが「正常価格」であり、どの不動産鑑定士が評価をしても、同一価格になるという誤解を与えるようである。(注2)
「正常」の反対は「異常」なのである。
およそ、「正常」、「公正」、「平等」、「公平」等の名詞は、観念で正しいものと植え付けてしまう文言であり、「正常」であるといわれると、反論する言葉がなくなってしまう。
不動産鑑定評価基準の作成は、当時のアメリカの鑑定理論(1960年版の第3版)を参考として作られているが、アメリカの鑑定理論で鑑定する価格は「Market Value(市場価値)」である。この「Market Value」あるいは、「Fair Market Value」を「正常価格」と訳した人は誰なのだろうか。
不動産鑑定評価基準が作成される前、即ち、不動産鑑定士という国家資格ができる以前から不動産鑑定の世界で著名であり、39年基準の審議委員の1人である嶋田久吉氏の「不動産鑑定評価の基礎知識」(昭和34年文雅堂銀行研究社)には、次のとおり記載されている。
第3章 総論
第1節 不動産評価の系列
この中で、不動産の評価が行われている主な流れとして、次のものをあげている。
(1)会計処理としてのもの
(2)税制上の課税基準価格としてのもの
(3)取引、交換、処分、買収等の資料に供するもの
(4)金融上の抵当物件としてのもの
(5)換地精算におけるもの
そして、第2節では、「適正価格、公正価格、正常価格とは」と題し、“この三つのものについては、いろいろと混用されていますが・・・”と書かれている。
即ち、39年基準以前から「正常価格」という名称が使用されていたのであろうが、アメリカの鑑定基準の「Market Value」に「正常価格」という名称を与えた人が居るはずである。
私は、不動産鑑定評価基準の「基本的考察」を書かれた櫛田光男氏が命名したのかとも思うが、過去の記録を調べてみても、誰が命名したのかは現在のところ不明である。
もし、当時の経緯等をご存じの方が居られたら、ぜひ教えて頂きたいものと思っている。
(注1)鑑定評価基準はその後数回改正され、現在の基準では、“不動産鑑定評価とは、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格を、不動産鑑定士が的確に把握する作業”となっている。
(注2)不動産鑑定士の求める「正常価格」は、あくまで、その鑑定士の意見であり、複数の鑑定士で、求めた価格がある一定の幅でばらつくのは当然であるが、学者等を含め不動産鑑定以外の世界の人にとっては、一意に求まる価格というイメージが強いのではないだろうか。